news
【寄稿】金沢21世紀美術館・野中祐美子氏による眞壁陸二展ステートメント

眞壁陸二展のステートメントを、金沢21世紀美術館の学芸員である野中祐美子氏にご寄稿いただきました。
是非ご一読ください。


揺れ動く抽象と具象−眞壁陸二の絵画について

金沢21世紀美術館
シニア・キュレーター
野中祐美子

眞壁陸二の絵画を初めて見たときの印象は、どこから見た視点で描かれているのか掴みどころがなく、奥行きのない平坦な印象を受け、自然を描いているのだが非常に抽象的な絵画に見えた。いわゆる絵画の奥行きというものは一切感じられず、モチーフや色面を切り貼りしたようなパッチワークのようにも見え、どこか壁紙のような、装飾的な図柄のようでもあった。何を描いているのだろうかと、疑問とともに不確かな感想を抱いたのを覚えている。

もちろん、その後の彼の活動や今回発表した新作を見ることで、そして作家と言葉を交わすことで、当時感じたある種のネガティブな印象は払拭されたことを先に述べておきたい。

眞壁は石川県金沢市出身で、東京の美術大学を卒業後もしばらく関東を拠点に制作を続けたが、2011年の東日本大震災を機に故郷・金沢へ戻ってきた。学生時代は抽象表現主義絵画を研究し、新しい抽象絵画を模索していたという。なるほど、眞壁の作品を初めて見たときに抽象絵画の片鱗を見たのも頷ける。彼の根底には抽象への意識と探究が今なお生き続けているのである。「自然をバックグラウンドに抽象絵画を描きたい」[1]と語る眞壁は、抽象と具象の間でもがきながら自身の絵画を次のステップへと進めようと探求する。

そもそも、眞壁の抽象から具象への過程が興味深い。抽象絵画を描いていた彼が、あるとき自分の描きかけのキャンバスをふと見ると松林の絵に見え、その作品を《松林》というタイトルで完成させた。抽象が具象に見えたその時から、彼は木々をメインモチーフとして絵画制作に取り組むようになった。これによく似たエピソードとして、抽象絵画の創始者と言われるワシリー・カンディンスキーがいる。カンディンスキーはかつて自身の絵が逆さまになっているのをアトリエで見て、何が描かれているかはわからなかったが魅力的な絵に見え、そこから抽象絵画に取り組み始めた。眞壁は抽象から具象へ、カンディンスキーは具象から抽象へ。揺れ動く抽象と具象の往来がそこにはある。この二つの領域を行き交う意識運動こそが眞壁の現在の作風を生み出しているのではないかと考えるのだが、それは作品についてもう少し詳しく見た後に考えてみたい。

眞壁の絵画のとらえどころのなさのひとつに、手法もジャンルも文化もさまざまなものが綯い交ぜの状態にあることが挙げられる。木々を描いているが、いわゆる風景画ではなく、画面の構図には日本画的な要素も見て取れる。掛け軸のような様式を成すものもあれば、カラフルな色彩や、大胆なモチーフの反復や切り取りは、ポップアートの要素や壁紙や食器の図柄のようでもある。こうした多様な要素を含むスタイルは、眞壁の画家としての強い信念に基づいている。

東北の震災を機に故郷へ戻った眞壁は、自分を形成した金沢の地と向き合うことになった。歴史や文化、自然環境や気象条件、金沢という土地が持つ風土の中で育ち、この土地で制作している画家だからこそ描ける絵画を探究したいと感じるようになる。また、幼少期から身近にあった山や川など自然に慣れ親しんできた眞壁にとって、木や自然を描くことは身体に染みついた感覚的なものだったはずだ。彼は実際に対象を見て描かないし、下絵も描かない。自身の記憶と感覚の中にある「自然」を描く。一人の人間の中に培われたこの土地の風土。そこには複数の時間、季節、場所が重なり一枚の絵画の中に収められる。そのような視点で眞壁の作品を見てみると、全てが必然的な要素であることが見えてくる。

例えば、石川の画家として、長谷川等伯は眞壁にとっては自然と同様に慣れ親しんできた対象だ。等伯の「松林図屏風」の世界観は眞壁の絵画観に確実に影響を及ぼし、さらにその日本美術が持つ自然のリズム、有機的なフォルム、それら日本の美を下支えに、眞壁の絵画は成り立っている。もちろん、彼は日本画家ではない。しかし画家である以前に彼は日本人なのである。等伯に限らず、俵屋宗達、尾形光琳、村上華岳といった日本画家たちの影響も受けてきたと作家自身も認めるように、箔の使用や木々の表現にはそれら先人たちの影響を受けつつも独自の表現へと昇華させた。

一方、色彩はどうか。これほど明度も彩度も高く、且つバリエーションも豊かな色はどこからくるものなのか。眞壁はこの点について、九谷焼の影響があると自覚的だ。日本的な色、自然の色というと、通常はもう少し色数も少なくどちらかというと落ち着いた感じを想像するかもしれないが、眞壁が生まれ育った金沢は、九谷焼の土地であり、金箔の生産地でもあり、古くから煌びやかで華やかな色彩を日常に取り入れる文化圏である。そのことが、無自覚的に自身の制作にも反映しているのだろうと眞壁自身も分析する。加えて、自然を知り尽くした眞壁にとって、自然こそ多様な色が存在し、皆が思っている以上にカラフルで鮮やかなのだ。北陸の気候は曇天が多く、湿度も高いが、だからこそわずかな光や湿潤な土地特有の大気の幻想的な様子は特徴的だ。それゆえ等伯は、竹林に差し込む束の間の光や、湿った空気の表現に熱心に取り組んでいた。眞壁もまた、北陸特有の空気や明暗表現を研究した末に、彼が感じ取る自然の中での最もリアルな色彩が画面に現れる。

夕焼けの赤や橙、夜明けの深い青、雨上がりの草木に見られるキラキラした緑や黄、冬の雪に混じった青や紫の光。自然の中に身を置くと、気象条件によってさまざまな色を目にする。そうした色彩の変容を絵の具だけでなく、アクリル板を取り入れることで、より一層光と色のバリエーションを、現実に眞壁が体験したその感覚に近づけようとする。自然は無限の色の宝庫なのだ。「もっと自然って派手でしょ」そう呟きながら、自然を知り尽くした眞壁は、果敢に鮮やかな色を選ぶ。

さらに、眞壁が使う箔には、装飾的というよりも、北陸の地で度々経験する曇天や雨天、降雪の間に、時々差す晴れ間の光や湿潤な大気を感じる。また、眞壁独特の画面に縦に入る帯状の色面やカラフルなアクリル板は、変わりゆく空気の変化、コントラストや光の移り変わりのようにも見える。あるいは、浮世絵や屏風絵などに描かれる場面転換の霞や雲の表現を想起させる。日本美術におけるこれらの表現は場面を転換したり、時間の経過を示したり、空間の奥行きを表すなど、変わりゆく時間の流れの中で起きている様々な出来事を一枚の絵の中に収めるために使われた手法だ。眞壁が使う帯状の色面も、時間や空間の変化がそこには刻まれていると言えるだろう。光と影、明と暗、動と静のコントラストが箔や色彩豊かなストライプや色面によって表現されている。

興味深いこととして、イスラム文化からの影響についても言及しておこう。眞壁は、イスタンブールを旅していたときに出会った、古いモスクのタイル壁画の修復の様子に大きく影響を受けた。モスク中の壁に張り巡らされているタイルに一部破損があった箇所を全く違う時代の異なるパーツがまるで金継ぎのように補修されており、その大胆なズレに逆に時間や空間の差が生じて面白さを感じたという。また、イスラム芸術の装飾性や連続性も眞壁の絵画に影響を与えてきた。偶像崇拝が禁止されているイスラム文化の中で発展してきた装飾性は、ある意味、抽象絵画を研究してきた眞壁にとっては非常に親和性が高いのも理解できる。眞壁は小さなモザイクやタイルの集積で大画面を形成するそのイスラム芸術の方法から、木の表現を繰り返し描く彼のスタイルや、木板に描いた絵画の集積で一枚の絵にするなど、イスラム文化からの多大な影響を受けていることが窺える。

  様々な文化や文脈、環境を下敷きに本稿序盤に指摘したように、眞壁は抽象表現から具象表現を取り入れたスタイルへと変容させて20年近くが経つ。彼はこの20年で何を描いてきたのだろうか。眞壁にとって具象や抽象とは一体何であるのか。と言うよりも、抽象と具象の分類というのは本当に必要なのだろうか。繰り返すが、眞壁は本来、「自然をバックグラウンドに抽象絵画を描きたい」のである。

戦後フランス絵画史に鮮やかな軌跡を残したニコラ・ド・スタールの実践は、眞壁の作品を考えるうえで参考になる。ド・スタールは、抽象と具象の間を揺れうごき、両者の区別を十分に意識しながら、そのふたつの葛藤や相克を基盤において、両者を対立的に考えず、行き来することを重視した画家だ。彼は抽象と具象のはざまで、それらの境界を現実の世界と絵画自体の現実との関係を次のように考える。

「絵画はただ単に壁の上の壁であってはならないのです。絵画は、空間の中に何かを描き出すことでなければなりません。(中略)僕は抽象絵画を具象絵画に対立させて考えてはいません。ある一枚の絵が同時に、抽象でも具象でもありうるのです。壁という意味で抽象的、空間の表象という意味で具象的なのです。」[2]

ド・スタールの絵画は、現実を描写せず、そこから抽出された色彩と形体で構成する点では抽象絵画であるけれど、現実の形象との連関を隠さず、また絵画自体の空間、物質性といったそれ自身の現実を追求するといった点では具象的であった[3]。加えて、ド・スタールは、見えているものだけでなく、その背後にある不可視の対象−気候、時間、感情−をも描くために、「抽象でも具象でも」ある必要があった。山梨俊夫は、ド・スタールの色鮮やかな風景画を、「大きな空の眺めに心奪われ、その感動を転写する画家の作業に、抽象具象の区分など意識されることもなく、具象はおのずと抽象に接近する。」と評する。

眞壁は抽象から具象への転換を図ったが、しかしそれは決して具象画家への転身ではなかった。眞壁の絵画はド・スタール同様に、「抽象でも具象でも」あるのだ。眞壁が丁寧に描く木々はモチーフだけ取り上げれば具象だが、それらは現実の対象を描いたものでもなく、眞壁自身に内在する山や森から感じ取った感覚的なものに近い。鮮やかな色面は抽象的ではあるものの、現実の光や大気を表す点においては具象的でもある。帯状の色面やアクリル板さえも、抽象であると同時に現実のコントラストや時間の変化といった事象の再現においては具象的だ。また、眞壁の絵画には多くの要素が含まれている−日本美術の影響や北陸の風土や文化から、イスラム文化に至るまで−それらは眞壁陸二という画家が経験してきた紛れもない現実であり、それらの影響を無視することなく自身の表現へと昇華させるために、抽象と具象をともに意識しつつ、今、彼はまさに自らの絵画の在り処を定めつつあるように見える。それが、眞壁にしか描けない世界であり、彼だからこそ描ける絵画なのである。


[1] 筆者によるインタビュー(2025年9月8日)。

[2] 『ニコラ・ド・スタール』展覧会カタログ、東武美術館他、1993年、80頁( “Témoinages pour l’art abstrait,” J. Alvard, R. van Gindertaël, Édition Art d’aujourd,’hui, Paris, 1952からの引用)。

[3] 山梨俊夫『風景画考 世界への交感と侵犯 第Ⅲ部−風景画の自立と世界の変容』ブリュッケ、2016年、603頁。前掲書、607-608頁。

一覧へ戻る